暴力おそれ大阪市は「解同」いいなりに 36年間に起こった主な事件
「矢田問題」
1969年3月13日、部落解放同盟大阪府連矢田支部が、阪南中学教諭木下氏の組合役員立候補あいさつ状(※)と推薦状を差別文書だとして糾弾をはじめた。4月9日、教諭3人を15時間にわたり糾弾。三教諭はその後大阪地検に告訴。市教育委員会はこの主張に屈服して三教諭を教育現場から引き離し、長期にわたって「研修」を命じた。この「木下文書」が差別文書であると認めるかどうかが、「差別者」かどうかの踏絵にされた。その後、各地で様々な「糾弾事件」が起こされ、各地の部落解放運動や労働運動、自治体行政などにも深刻な影響を与えた。
※木下氏の「あいさつ状」
組合員のみなさん。 労働時間は守られていますか。
自宅研修のため午後四時ごろに学校を出ることができますか。仕事においまくられて勤務時間外の仕事を押し付けられていませんか。進学のことや、同和のことなど、どうしても遅くなること、教育こん談会などで遅くなることはあきらめなければならないのでしょうか。また、どうしてもやりたい仕事もやめなければならないのでしょうか。
教育の正常化に名をかりたしめつけや管理がありませんか。越境・補習・同和など、どれをとりあげてもきわめて大事なことですが、それに名をかりて転勤・過員の問題や特設訪問や、研究会、授業でしめつけがみられて職場は益々苦しくなります。新指導要領についても同様です。「どんなよいことでもお上(行政)からきめられたことはダメだ。自ら要求し自らかちとったものが身になり肉になる」ことをひしひし思い知らされます。
最後にもう一つ、平和を守り沖縄の即時無条件・全面返還と安保廃棄の闘いを暴力集団を除いた全民主勢力でかちとる、東京都や沖縄の三大選挙のような統一戦線をつくりましょう。 まだまだ、たくさんありますが、このようなことで奮闘して頑張って行きたいと思います。どうぞ、よろしくご支援ください。
「第二回大阪市役所部落問題研究集会妨害事件」
1974年9月28日、自主的な学習研究組織である大阪市役所部落問題研究会を中心に、第2回大阪市役所部落問題研究集会を計画したところ、大阪市職は、「この集会は『解同』との連携、協力を決めた市職方針に反対する分派・分裂活動であり反組織的行為である」と一方的に断定した。そして、会場予定地の中山寺に300人以上の組合員を動員して集会を開催不能にしたあげく、その後、永井(後の市労組委員長)実行委員長に対して組合員権停止1ヶ月の処分を強行した事件。
「橋本浙子さん事件」
1974年4月から部落子供会に大阪市の職員「同和事業指導員」として働いていた橋本浙子さんが、「矢田問題」を差別と認めないことを理由に、「同和事業指導員」の職をはずされ、中央公会堂を中心に8ヶ月にもわたって「研修」と称して幽閉された事件。この事件を利用して当時の市職が組織ぐるみで反主流派組合員のブラックリストづくりをしたと噂され、実際に100名を超える組合員が不当配転された。
暴力おそれ大阪市は「解同」いいなりに 36年間に起こった主な事件 【 大阪市労組 第339号-2006年6月16日号より 】 |
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