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2006年7月20日 (木)

コラム 中之島

▼▼北九州市で生活保護申請が受けつけられずに餓死する事件があった。生活保護法の間違った違法な運用が、また犠牲者を生んだ。しかし、マスコミで流れる情報では、当局者らの反省の弁は全く聞かれない。まさに「自己責任」であり、「死ぬのは勝手」と言わんばかりである

▼生活保護だけではない。国保料を納付できずに国保証を取り上げられた世帯は30万件を超し、そのために医者にかかれずに死亡した犠牲者も後を絶たないといわれている。国民年金保険料が高くて納付できない人々も激増し、老後の無年金者予備軍が計り知れない数だと言う

▼「骨太方針2006」では、財政再建の名で社会保障切捨て、消費税引き上げが容赦なく強行されることになる

▼そんな中で教育基本法改悪案は、国民に「愛国心」を強要しようとしている。憲法は、「国民の福利」実現が「国家」の目的としている。国家が国民を「愛する」のであって、国民が「国家を愛する」のはその結果にすぎない

▼生活保護が受けつけられずに餓死する国民の存在する国で、国民が国家によって「愛されている」と実感できるだろうか。国家にこれほど愛されずに、国家を愛することだけをただひたすら要求される国民とは、なんと可哀相な「国民」と言わざるを得ないのではないか。


コラム 中之島
【 大阪市労組 第340号-2006年7月20日号より 】

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