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2006年8月 1日 (火)

コラム 中之島

▼被爆61年を前に、広島の原爆症認定集団訴訟が全面勝利した。原水禁世界大会開会式は、この知らせを受けて大いに沸き立った。地獄の苦しみを味わい、苦難をかかえながら裁判に立ち上がった被爆者の叫びは人々の心を動かし、草の根の運動を動かしてきた

▼被爆者が老齢化し、次の世代への継承が問題になっている。「自分たちに被爆体験を語り継ぐ事ができるのか」との青年の問に「語り継ごうとする行動を起こすことが大切なのだ」との被爆者からの励ましの言葉に、世界の平和を願い、未来を見つめる人間としての気高さに胸打たれ「被爆体験を継承し、核兵器廃絶を青年の手で」と決意を新たにした

▼2006年世界大会にはたくさんの青年が参加した。初めて参加し、ぜひ自らの目で耳で被爆者の話が聞きたい、何か自分にもできることはないのかと模索しながらの青年たちが多数いた。大阪の学生でつくっている、ピース・ツァーのグループは大会に向け学習を重ねてきた。ときには喧嘩になるほどの議論を積み重ねながら準備をしてきた。大会への取り組みを成功させた達成感と「自分たちにもできることがある」「国の未来に関われるんだ」という感激で胸を熱くし涙した。安斎郁郎先生の「私たちは微力だけれど無力ではない」という言葉が心に深く刻まれた。

コラム 中之島
【 大阪市労組 第341号-2006年8月1・15日合併号より 】

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