心気一点 我が青春の上方落語 (いま巷で噂の「KKコンビ」のK2号・旭区役所)
大阪の小学生はみんなお笑い好き?
1952年生まれ、1971年大阪市に就職、小学生の頃からお笑いが好きで、この年代は土曜日の午後小学校から帰ると、お決まりのテレビ「吉本新喜劇」「松竹新喜劇」それに千日劇場(現ビックカメラ・「お笑いとんち袋」だったと思います)が楽しみでした。
特に「お笑いとんち袋」いわゆる大喜利で司会は桂米朝師、回答者は桂文紅師、桂小米師(のちの枝雀)、桂米紫師(初代上方落語協会事務局長)、吾妻ひな子師(女放談)、桂我太呂師(のちの先代文我)、桂朝丸師(現ざこば)、桂小春団治師(のちの露の五郎兵衛)の掛け合いが面白く拝見していました。
真剣に落語家をめざしたことも
その頃からお笑いに興味を持つようになり、落語にはまっていき、四天王と呼ばれる、笑福亭松鶴、桂米朝、桂春団治、桂小文枝師匠たちも40代で若く、徐々に若い落語家さんが増えて、初期の落語ブームの時代でした。当時小生も就職し清掃局に配属された時から落語会に行くようになり、桂米朝師匠の出待ちをし、弟子入りを懇願しましたが、師匠も両親の反対もあり、大阪市職員のまま現在に至っています。
桂南天師匠、今年「NHK 新人落語大賞」を受賞した桂雀太師匠を応援しています!
その当時は、四天王の4人の他長老の橘ノ圓都、素人名人会の審査員先代林家染丸、明石家さんまの師匠笑福亭松之助等多彩な師匠たちがおられ、上方落語には定席がなく、上方落語協会が初めて、南区島之内(現中央区)、南警察の近くの島之内教会を借り上げ1週間毎日、落語会が開かれました。約10人の噺家さんが出演されており、今やベテランの当時桂小米(のちの枝雀)に弟子入り直後の桂べかこ(現南光)、桂米治(現雀三郎)の落語が好きで、今もお二人の追っかけをしています。
まだまだ述べたいことは沢山ありますが、続きはまたの機会に…。
組合員の皆さんの投稿をお待ちしています。
心気一点 我が青春の上方落語
【 大阪市労組 第460号-2016年12月21日号より 】
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