市労組事務所界隈11 角元 博
大阪市役所労働組合のある、大阪市天王寺区東上町の直ぐ北の「下味原」交差点から、千日前通りを約500メートル東に行くと、玉津3丁目交差点があり、その南北に走る「大阪市道上新庄生野線」があります。土曜日、日曜日、祝日ともなれば、若い女性が「コリアンタウン」に行く人で一杯になります。
皆さんはこの道路、「疎開道路」と呼ばれていますがご存じでしょうか?
疎開道路は、第二次世界大戦中に空襲による延焼防止を目的に建物を疎開させ敷設・拡幅された道路です。大阪市以外にも、東京都荒川区、横浜市と福岡市に通りの愛称として名前が残っているそうです。
大阪市の疎開道路は、上新庄生野線の内、東成区中道・森ノ宮住宅前交差点から生野区林寺2丁目交差点までのことのようです。
この区間は当初、大阪市の第三次都市計画事業街路中道桑津線として、1937 年3 月に認可を受けて計画されたものの、既に住宅密集地となっており用地買収には難渋が予想され、手付かずだったそうです。
第二次世界大戦中の1944 年2 月末より、この計画をそのまま転用して防火空地帯として建物が強制的に疎開され、道路として供用されることになったようです。戦時中ということもあり急速に進展したようで、1944 年3 月に開始した撤去工事が5 月10日には完成したそうです。
疎開などすることなく、いつまでも紛争のない平和な世の中でありますように…!!
市労組事務所界隈11 角元 博
【 大阪市労組 第520号-2022年11月号より 】
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