市労組事務所界隈20 角元 博
「てんのうじ村」の碑
先日、あべのハルカスに行く用事があり、その帰り新世界方面に歩いて行くと、阪神高速下のフェンスに囲まれた所に「てんのうじ村」の碑を見つけました。
由緒は古く1400年ほど前の四天王寺創建時から、四天王寺周辺には伶人と呼ばれる人が住んでいた。伶人とは雅楽などを演奏する人たちのことで、いまでも伶人町という地名が四天王寺の西に残っています。天王寺村の西側には、道頓堀や難波新地など昔から大勢の芸人が芸を披露する地域が広がっており、昔からたくさんの芸人が住んでいました。
伶人町から上町台地を下った地域は1903年の第5回内国博覧会の会場となり、後の「新世界」となり、たくさんの劇場が生まれ、この新世界に南に接する天王寺村、後に山王と称されるエリアは、手ごろな長屋街で、劇場も近く、地方巡業への交通の便もよく、飲食店や風呂も遅くまで開いていて、芸人にはこの上なく便利な場所です。
第二次世界大戦が起こり、空襲で家を失い散り散りになった芸人たちを演芸斡旋事務所が安く住居を提供して住まわせた。ここは大阪の中心に近いながらも被害があまりなかった。また、多くの劇場が焼けてしまった中で天王寺館という演芸小屋もあり、戦後の混乱の中で芸人たちがお金を稼げる数少ないところであった。まさに芸人のセーフティーネットとなったわけです。
祖父の知り合いが近くに住んでおり、60数年前祖父に連れられ良く訪問しました。その時「砂川捨丸」さんや「平和ラッパ」さんに可愛がられたことを思い出しました。
市労組事務所界隈20 角元 博
【 大阪市労組 第529号-2023年10月号より 】
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