2024年1月26日 (金)

市労組事務所界隈22 角元 博

2024019あぁ~青春のアイビールック!!

2023年11月雑誌2nd【セカンド】を購入、それは「いままた、アイビーの洗礼を。」と題しての特集だからです。これは行きつけの心斎橋大丸「VAN」ショップ、同年代の店員さんに教えて頂き懐かしく購入したものです。

そこには、日本のトラッドはアイビーから。それを忘れちゃいけない。1960 年代半ばに起こった日本初のアイビーブーム。それは僅か数年間の出来事だった。しかし、それ以降も少しずつ趣向を変えながら、幾度となくメンズファッションの花形に返り咲くことで、その火種は一度も絶えることなく今日に至る。振り返れば、先人たちから受け継がれた日本独自のアイビー文化こそ、なによりトラッド(伝統)だったのだ。そうして、いままた何度目かのアイビーブームの渦中に私たちはいる。と記されています。

アイビーだったり、アイビーファッションだったり、アイビースタイルなど色々な呼び名でよばれ、昨今また注目されるファッション界の「アイビー」。若き時代に影響を受けた1人で私は1952年(辰歳)生まれで、1971年高校卒業の年に大阪市に就職、まさにアイビー世代で、多くの若者がアイビールックに身を纏っていたのを思い出します。今後もアイビーをこよなく愛していきます。

宣伝になりますが、アイビーと言えば「VAN」、大阪市内で扱っているのは、大丸大阪店と高島屋です。
写真は左が角元、右が川本、7年前社会風刺漫才「KKコンビ」として、アイビールックで漫才の舞台姿です。

市労組事務所界隈22 角元 博
【 大阪市労組 第532号-2024年1月号より 】

 

| | コメント (0)

2023年12月31日 (日)

市労組事務所界隈21 角元 博

どんどろ大師(善福寺)

組合事務所から北へ徒歩15分、天王寺区空堀町にある高野山真言宗の寺院で、山号は如意山。本尊は弘法大師。「どんどろ大師の名前で知られています。宗教法人としての登録名は「どんどろ大師善福寺」です。

2023125

現在、善福寺のある場所には鏡如庵大師堂(鏡如寺・通称:どんどろ大師)という寺があったが、明治時代に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺になり、その後1909年(明治42年)1月9日に大阪府豊能郡能勢村(現・能勢町)の如意山甘露院善福寺が鏡如庵大師堂のあった場所(現在地)移転する。当時は鏡如庵大師堂の時代から大阪の弘法大師信仰の巡礼「大師巡り」「浪速大師巡り」の巡礼地として多くの参拝者で賑わい、大阪の弘法大師信仰の拠点寺院のひとつであった。我が家も「高野山真言宗」で、子どもの頃、祖父に連れられ参拝した記憶があります。

2007年(平成19年)、境内にある勝軍地蔵尊の建立百年と、2009年(平成21年)、どんどろ大師善福寺中興當地開創百年を迎えることから、この2つの百年を記念して、2009年(平成21年)に山門前に、文楽・歌舞伎「傾城阿波の鳴門どんどろ大師門前の場」に登場する「お弓 おつる」母子像が建立され。文楽・歌舞伎ファンが訪れています。
機会があれば皆さんも参拝に訪れてください。

2023126

市労組事務所界隈21 角元 博
【 大阪市労組 第531号-2023年12月号より 】

| | コメント (0)

2023年10月19日 (木)

市労組事務所界隈20 角元 博

「てんのうじ村」の碑

2023105

先日、あべのハルカスに行く用事があり、その帰り新世界方面に歩いて行くと、阪神高速下のフェンスに囲まれた所に「てんのうじ村」の碑を見つけました。

由緒は古く1400年ほど前の四天王寺創建時から、四天王寺周辺には伶人と呼ばれる人が住んでいた。伶人とは雅楽などを演奏する人たちのことで、いまでも伶人町という地名が四天王寺の西に残っています。天王寺村の西側には、道頓堀や難波新地など昔から大勢の芸人が芸を披露する地域が広がっており、昔からたくさんの芸人が住んでいました。

伶人町から上町台地を下った地域は1903年の第5回内国博覧会の会場となり、後の「新世界」となり、たくさんの劇場が生まれ、この新世界に南に接する天王寺村、後に山王と称されるエリアは、手ごろな長屋街で、劇場も近く、地方巡業への交通の便もよく、飲食店や風呂も遅くまで開いていて、芸人にはこの上なく便利な場所です。

第二次世界大戦が起こり、空襲で家を失い散り散りになった芸人たちを演芸斡旋事務所が安く住居を提供して住まわせた。ここは大阪の中心に近いながらも被害があまりなかった。また、多くの劇場が焼けてしまった中で天王寺館という演芸小屋もあり、戦後の混乱の中で芸人たちがお金を稼げる数少ないところであった。まさに芸人のセーフティーネットとなったわけです。

祖父の知り合いが近くに住んでおり、60数年前祖父に連れられ良く訪問しました。その時「砂川捨丸」さんや「平和ラッパ」さんに可愛がられたことを思い出しました。

市労組事務所界隈20 角元 博
【 大阪市労組 第529号-2023年10月号より 】

 

| | コメント (0)

2023年8月29日 (火)

市労組事務所界隈19 角元 博

上方伝統芸能に朗報

2023083文化審議会は7月21日、重要無形文化財保持者(人間国宝)に12人の方々を認定するよう文部科学大臣に答申したと報道されました。今回の認定で、人間国宝は109人になるそうです。

上方伝統芸能から、私の好きなお二人が認定され、喜ばしい限りで、今後のご活躍が一層たのしみです。

狂言からは、茂山七五三(しげやま しめ)さんです。

狂言は、平安時代猿楽の直系の芸能で、日本の生んだ最古の喜劇で、14世紀から、能と狂言とはそれぞれの専門にわかれながら、しかも同じ舞台で交互に上演されるのを常として互いに影響を与えあって発展を遂げ、狂言は独特の格調のある明朗酒脱な科白劇として大成しました。

2023084文楽からは、人形遣いの吉田玉男さんです。

人形浄瑠璃文楽は、三業(太夫・三味線・人形)で構成される舞台芸術で、18世紀中頃に大成した。物語を語る太夫、各場面の情景等を表現する三味線、太夫と三味線の義太夫節にのせて演技する人形によって展開する。人形浄瑠璃文楽の人形は、一つの人形を主遣い、左遣い、足遣いの三人で遣うという世界の人形にその比を見ない繊細巧微なもので、高度の芸術的価値を持つとともに、その演技演出の様式等、我が国演劇史上に遺した足跡は大きく、芸能史的にも重要な位置をしめている。

狂言は、大阪の大槻能楽堂、京都の金剛能楽堂に、また文楽は国立文楽劇場に足を運びます。皆さんも是非狂言や文楽と言った伝統芸能を鑑賞してみてください。

市労組事務所界隈19 角元 博
【 大阪市労組 第528号-2023年8月号より 】

 

| | コメント (0)

2023年7月22日 (土)

市労組事務所界隈18 角元 博

恋人の聖地

2023076

大阪市役所を北へ徒歩約5分の所にお初天神があります。正式名称は「露天神社」といい、元禄16年(1703年)境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」書き、そのヒロイン「お初」にちなみ「お初天神」と呼ばれるようになりました。

「曽根崎心中」は、元禄16年4月7日に起こった、堂島新地天満屋遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」がこの神社「天神の森」にて心中した事件をもとに、近松門左衛門が劇化したものです。この作品は当時の人々の間で大評判となり、参詣回向かの老若男女が大勢押しかけたと言われています。

今では、「恋人の聖地」として有名で、休みの日となれば、若いカップルや、女性の参拝者など一杯で、「恋愛成就」の絵馬が本殿前などに沢山掛けられています。

その一方、拝殿前の石柱には「昭和20年6月福島駅・大開周辺を爆撃した後、大阪駅を超えて来襲した米軍マスタングP51他による機銃掃射弾痕」と記されています。戦争の爪痕で知る人は少ないと思いますが、二度と戦争のない平和な世の中であると同時に、「恋人の聖地」であり続きますよう願うばかりです。

2023075

市労組事務所界隈18 角元 博
【 大阪市労組 第527号-2023年7月号より 】

 

| | コメント (0)

2023年6月28日 (水)

市労組事務所界隈17 角元 博

2023067

〆のスイーツ

いつもの組合事務所界隈から少し目線を変え、私の職場「ディアモール大阪」からすぐ近く大阪駅前第2ビルを紹介します。

仕事終わり美酒を求め居酒屋にいくことがほぼ毎日の日課です。

1軒目で飲み、その後はスペイン・イタリアンの店「スタンドエルソル」で決まり、ここの店長でシェフYUKIさんの手料理を楽しみます。気さくで楽しい店で会話も弾みます。

スペイン料理にはパエリア、タパス、チュロス、ガスパチョ、アヒージョなどがあり、イタリア料理にはピザ、パスタ、ラザニア、リゾットなどがあります。

また、スペイン料理は、オリーブオイルやトマトソース、パプリカを使用して味付けをすることが多く、ピリ辛であることが特徴です。イタリア料理は、トマトやバジル、オリーブオイル、チーズを使用して味付けをすることが多く、濃厚であることが特徴です。

これらの料理を一人で手際よく調理され、カウンター越しに作る手順を見るのが楽しみで、ひときわ食欲をそそります。この様に言うと手料理をいつも満喫し食していると思う方がおられますが…?店長のYUKIさんはパティシエ出身で、その日のスイーツは絶品で食しています。陸ハイボールと相性抜群ではまっています。

是非、皆さんも行って見てください。
場所は大阪駅前第2ビル地下1階です。

市労組事務所界隈17 角元 博
【 大阪市労組 第526号-2023年6月号より 】

 

| | コメント (0)

2023年5月29日 (月)

市労組事務所界隈16 角元 博

組合事務所から徒歩約25分四天王寺さんへ
文楽好きの私がみつけた『人形遣いの碑』

2023054

四天王寺の大鳥居から入り、布袋堂の奥「浄瑠璃(義太夫節)界先師石塔群」を右手に見て、墓地の奥へと進むと「人形遣いの碑」があります。人形遣いの祖とされる「菅原道真」を祀る「菅原道真堂」の前に建てられています。この碑は、人形遣いの技術を伝えた「菅原道真」を讃えるために建てられたもので、その技術が伝わったことを示すものです。

由緒書を引用させていただきます。

この五輪塔は、人形浄瑠璃文楽の多くの人形遣いの系譜、及び墓の所在が、太夫や三味線弾きと違い不明なのを遺憾におもった、昭和を代表する名人遣い、二代桐竹紋十郎の発願により、師匠である三代吉田文五郎とともに、建立したものである。

建碑の費用は阿部信行氏(第三十六代内閣総理大臣)の意見に従い、興行によってこれを捻出し、昭和十五年(1940年)に「浄瑠璃界先師の石塔群」のある四天王寺に建てられた。
塔中には、初代桐竹紋十郎の手になる「人形系譜」を五代吉田兵吉が再調したものを、乾・坤二巻の巻物に作製したものが追善巻子として納められた。

乾の巻には故人を、坤の巻には現存者を記し、現存者は朱記して、死去につれて墨書とするようにしてあるという。

現在、この石碑は人形浄瑠璃文楽座因講が管理しています。
2013人形浄瑠璃文楽座因講

市労組事務所界隈16 角元 博
【 大阪市労組 第525号-2023年5月号より 】

 

| | コメント (0)

2023年4月30日 (日)

市労組事務所界隈15 角元 博

2023043折れた鳥居の柱、壁に残る弾あと

組合事務所から徒歩15分、天王寺区玉造本町の宰相山公園にある三光には、戦災で折れた鳥居の柱が残されています。この神社は、中風封じや、七福神の一つの寿老人で知られた由緒ある神社であるだけではなく、境内にいわゆる「真田の抜け穴」があり、真田幸村の銅像も建てられて、人気を集めています。しかし社殿への石段の上にある鳥居の横に、折れた鳥居の柱が並んで建っているのに気がつく人は少ないようです。

社殿の前の寿老人像の横に石板が設置され、次のような文言が刻まれています。

「遠く生駒金剛の連山を見はらす景勝のこの地に、永くその由緒ある三光神社の御門として誇っていた鳥居も、第二次世界大戦の戦火を被りその片柱のみをとどめた。われわれはこれに世界の平和と国家の安泰を祈願して残すこととする。さらに今般有志が相寄り新たにこの鳥居を奉納し、由緒ある三光の御門とする次第である。昭和47年7月 参考神社奉賛会」とあります。

「二度と戦争を起こさない」という思いをこめて残すことにしました。
残しておいて良かった」と宮司さんはその思いを語っておられます。

市労組事務所界隈15 角元 博
【 大阪市労組 第524号-2023年4月号より 】

 

| | コメント (0)

2023年3月28日 (火)

市労組事務所界隈14 角元 博

今回は組合事務所のある、鶴橋から一駅「玉造」界隈を…。

上方落語に「東の旅」という旅ネタがあります。最初のくだりをガチャガチャと見台を叩きながらリズミカルに喋る。それが落語家の修行の第一段階で、旅のいでたちや途中の描写など、風俗資料としてもなかなか一見の価値があるとおもいます。

お伊勢参りでもしようやないかと、黄道吉日選び、赤いご飯の一つも炊いてもらい、親類や友だち、近所となりへの挨拶を済ませ大勢の者に見送られて安堂寺橋(谷町6丁目~松屋町筋の間)東へ東へととって行きます。

大阪はなれてはや玉造。二軒茶屋と申しまして「桝屋芳兵衛」「鶴屋秀次郎」という二軒の茶屋が(今も碑があり)あります。ここで見送りの連中と酒の一杯も飲んで別れをかわしますと、勿論旅の安全祈願をこめ「玉造稲荷」にも参詣し、あとは二人連れ。中道、本庄、玉津橋。道を深江へととってまいります。

「笠を買うなら深江が名所」という唄があって、名前は深江笠でそのじつは浅い笠をかぶりましてお伊勢さんをめざします。今も深江菅笠を製造販売されていて、大阪市指定文化財にもなっています。

市労組事務所界隈14 角元 博
【 大阪市労組 第523号-2023年3月号より 】

 

| | コメント (0)

2023年2月27日 (月)

市労組事務所界隈13 角元 博

2023024

組合事務所から徒歩約20分のところに、一心寺シアター倶楽があります。皆さんはご存知でしょうか、大阪市天王寺区逢坂にあります。一心寺はお墓詣り等で行かれた方も多いと思います。

その「一心寺」の東隣りに位置し、元生け花市場の場所に建設された劇場で、設計は一心寺長老、高口恭行さんによるものです。プロデューサーは、劇作家の秋山シュン太郎さん。1993年に桂枝雀師匠らが落語芝居に使ったのをきっかけに改装され、1994年6月から客席300席の劇場方式「一心寺シアター」となったそうです。

当初はお堂を建てる計画があり、2000年4月末に一心寺シアターを休館、2002年地上に一心寺三千佛堂、地下は劇場「一心寺シアター倶楽」というユニークな建物に生まれ変わり、私は浪曲が催される時は良く行きます。

是非一度足を運んでは…!!

市労組事務所界隈13 角元 博
【 大阪市労組 第522号-2023年2月号より 】

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧